年が明けて年末の掃除について言及するのもどうかと思うのだが、
掃除をしているといろんなことに気づかせてもらえるのである。
普段の掃除は掃除機をかけて、おしまい。
しかし、本当の掃除は拭き掃除である。
拭き掃除をするということは「膝を付く」という姿勢になる。
すると、目線が変わる。視点が変わる。ということになる。
意外なところに汚れがあるものだ。
「拝む」という言葉の語源は「折れ屈む」から来ている。
折れ屈まないと、自分の醜さや、浅はか、罪深さなどは見えてこない。
そういうものが見えてこないと、仏や神といった超越した存在を感じることはできない。
掃除というものが仏道修行において、第一に優先されるのはそこにあるのだろう。
やはり、昔の人は偉い。
レレレのおじさんのモデルはお釈迦様の弟子であるシュリハンドクだ。
自分の名前すら忘れるほどの愚かな僧侶であったが、
お釈迦様からひたすら掃除をするように勧められた。
来る日も来る日も掃除をしていた。
そんな時綺麗にしていたところを子どもが散らかした、
「こら~~」と怒った時、はっと気が付いた
それは汚れているのは自分の心だと。






