仏教の話日記

私が感動した法話の中で引用された手紙の内容とは(1926字)


有名な布教師さんの話です。

ある念仏者が自分の故郷を出て、大学生活を送っている次男坊に送った手紙の内容を紹介します。

(以下長文)


 

人間は常に上下の優劣を競い、

差別をつけることに本性がなっております。

人間としておおらかな性格を持っている人もいるかもしれません。

生まれつき思いやりがあって、

親切だという性格を持っている人もいるかもしれません。

 

しかし、

一度仏教のみ教えをいただくことになると、

この世の中からは欠点が少ないと言われている人でも、

自分の心の奥底を見せつけられるようになります。

 

そして、

人によく見られたいと思う名利の心が

動いているということ、

自分の立場でしか考えていないこと、

人には親切にしていても、

相手がその気持ちを買ってくれないと、

恨みに転ずるような、

不徹底な心があること、

むしろ親しない方がよかったと

思われるくらいしかできなかったこと、

そういう自分が見えてきます。

 

そういう自分が見えてくるようになりませんと

仏様のお救いというものがなんのことがわからずに終わってしまうのです。

 

誰だって、

自分が完全だと思う人はいないでしょう。

 

表面は立派そうに見えて、

家は平和そうに見えても、

一歩内容に立ち入ってみると、

誰でも、どの家でもそれぞれ悩みはあるものです。

その問題も大学先生も持っている、

無学な人も大学の教授も同じようなことで悩んでいる。

褒められればうれしい、

悪く言われれば腹を立てるかしょげるか、

この心はみんな同じこと。

それを未解決のまま、

表面を飾って生きているだけです。

 

そして、

その外見を飾って、

金をためて、

家庭を持って、

みんなが健康でそれが人生の幸福だと一般に思っている、

 

しかし、そうはいかん、

どんなことで事故があり、

いつ病気になるかわからない、

家の中の者がグレルこともある。

自分の理想が壊れることもある。

その時にしかたがないとあきらめるか、

自暴自棄になるか、

あきらめたとしてもあきらめきれるものではない。

 

この世で貧乏くじを引いたくらいと思うくらいで、

収まるものでもないのに無理にそれでごまかしようとしている。

 

こういうどうにもならない人間の心の動き、

それが他人ではない、

何かにつけて迷うていく自分の心の姿を見ていくこと、

これが仏教という教えに入る関門なのです。

 

ともすれば、

書物を読み、

物を知っている人を立派だと思いがちです。

 

仏様の教えを頂くにしたがって、

ものを知ったり、

人に褒められるようなことが

決して人生の幸福、人間の向上ではないということを

お父ちゃんは書いておきたいのです。

 

学校でいろんなことを先生から学ぶでしょう。

その反面、自分の値打ちのないことや、

自分の無知を知らせてもらうことが大事なことであります。

お父ちゃんは学生時代にこれを教えてくれる人がいなかった。

 

成績で優劣をつけられるので、

ただ闘争心に駆られ、

上下の差別で人を見て人生を見ていた、

しかし考えてみると、

自分一人が生きていくのに、

この世のすべての人に関係なしに、

生きていけるものだろうか。

 

先生があって学生があり、

学生がなかったら先生も意味がない。

社員がいて社長、

社長の苦労がなかったら社員の生活も脅かされる。

それぞれ別の存在でありながら、実は一つの存在である。

 

自分が高上りしておってはその真理は自分のものにならないのです。

それが人間のあさましい姿なのですが、

いたずらに高上りして、

人の苦労を踏みにじったり、

人のご恩をなんとも感じないということになってしまいます。

 

ご恩をおもいましょうと、

人間が考えられるなら、宗教はありません。

どんなに偉そうなことを言うても腹の底には少しも身についていない。

 

表面はどんなに飾っても、

心の底はあさましい凡夫の姿がむき出しの事実に気づくほど、

人間は不思議な光を感じ、安らぎを身に覚えるものです。

 

その力を頂くときに、

たとえ良いことができても、

自分がしたんだと高ぶらずに、

おかげさまでと、

私を導いて下さる仏様にお礼を申し上げるようになります。

 

机について勉強していても、

自分の力だけではない、

先生のおかげ、

本のおかげ、

机や椅子や家や下宿もお爺さんのおかげも、

すべても含めて、

仏様のおかげと、

自分を中心に無限にひろがっていくご恩を思うようになります。

 

仏教の教えが味わえるようになったら、

いろいろな教えがすべて味わえるようになります。

胃が悪かったらどんなにおいしい食べ物も受け付けません。

 

仏様はまず、自己を知れと教えてくださる。

何を聞いても見ても、

それを自分の血や肉とすることができない。

心の胃を壊している自分の姿を知らせてくださいます。

 

教えを受けるということは自分の心を常に見つめて、

常に愚かなことを考えている私を知らせてもらうことである。

 

端的にそう思わざるをおえません



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