仏教は「苦しみ」がどのように生まれ、どのようにして解決するかという宗教です。
お釈迦様は瞑想している時はいいが、瞑想を終えると「苦」が出てくるとおっしゃいました。どんなに修行をしていても生きている以上「苦」は付きまとうものです。なぜなのかという原因追及していきますと。
「苦しみ」の原因は「行い(業)」から生まれ、
その「行い(業)」は「何らかの精神的な働き(煩悩)」から生まれ、
その「何らかの精神的な働き」は「苦しみ」から生まれる
というサイクルを永遠繰り返しているからだと考えます。
この苦しみのサイクルから抜け出すことが仏教の目指す目標です。
また、全ての仏教(お釈迦様時代の仏教、チベット仏教や密教、中国仏教、日本仏教)はこのサイクルから離れることを「救われる」といいます。
このサイクルのうち、何らかの精神的な働き「煩悩」をどうにかしなければならないと考えます。
「なんで自分だけ?なんで自分だけがこんな目に会わないといけないの?」と思ったことはありませんか?
煩悩は大きく言って三つ「貪り、怒り、愚痴」です。
「貪り」とは、人はどんなに満たされても、しばらくするとそれが当たり前になり、もっとこうしたいという欲が出ます。満たされることのない欲を私たちは持っています。
「怒り」とは、その欲を満たせないために怒りが生まれることです。
怒りというと相当血が上ったイメージですが、不満に思ったり、イライラしたり、なんか心がスッキリしない、なんか嫌だ、いやいや、どんよりとした気持ちなども含まれます。
「愚痴」とは自分の都合がいいように考えること、つまり自己中心的な心です。よく「酒で上司を愚痴った」という愚痴は言っても始まらないことを口に出すことで「怒り」に含まれます
三つをまとめますと
自分の思った通りに(愚痴)したいから(貪り)、そうならないためにイライラ(怒り)している。これが私たちの本当の姿であります。
ではこの煩悩に振り回されている私たちはどのようにしたら苦しまずにすむのか。
お釈迦様は八つの正しい行いを説きました。この行いを勤めていくと苦しみのサイクルから抜け出すことができると示し下さいました。
「正しい」とは自己中心な心を捨てた見方のことです。
まず「正見」
これはこの世は無常であるということ、思った通りにいかないということを見極めること
次に「正語」
正しい言葉遣い。口は災いの元だからです。口で表現しきれないことでも口で言い表さないと伝わりません。誤解なく相手に伝えることが大事です。
次に「正業」
これは仏教徒としての生活習慣を勤めることで、他人の迷惑にならないことだと示されています。
次に「正命」
これは仕事と思っています。人にはそれぞれ使命という仕事があり、命を使って仕事を勤めます。
次に「正精進」
これは努力をするということです。煩悩に打ち勝つように努力をし、立派な人間をめざす努力を勤めるためです。
次に「正思惟」
全ての生物がどうすれば救えるのか、どうすれば慈しみを持って考え方を見つけることができるかを考えること
もう一つは、欲を出したり、それが満たされないために怒るような考えをすてることです
次に「正念」
気づくことです。何に気がつくのかというといまの自分に気がつくということです。瞬間瞬間の自分に気づくことなのですが、自分に気がつくためには精神統一をしなければなりません。
最後に「正定」
精神統一の状態をめざすことで、なぜそれが大切なのか、それは自分に気がつくため(正念のために)です。
これを八正道といい、苦しみから逃れる、「気づき」に至る実践方法です。
さて長くなりましたのでまた今度。
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