南無阿弥陀仏は年寄りが唱えるもの、
または、僧侶が唱える呪文のようなものと思っている人が多いのではなかろうか。
この画像を見てほしい
この方たちは勧誘されて木魚を叩いているわけではない、
もちろん、サクラでもない
『いろんなことがあったからこそ』木魚を叩きたくなったのではと感じる。
ここ数年、SNSで広がりを見せ、今や京都の風物詩になりつつある行事だ
その名も「ミッドナイト念仏in知恩院」(4月18日)
念仏の元祖と呼ばれた法然上人の命日法要(一週間あるの中で、その遺徳をしのび、若い僧侶が企画されてものと言われている。
念仏とは元々、仕事に追われている方や修行ができない方に勧められた行で、
これ一回唱えただけで阿弥陀仏の国である極楽浄土に生まれることができる。
夜の8時から始まり、朝の7時に終わる。
どんな人でも参加でき、途中入場、途中退場OK
普段この国宝である三門には入ることができない、
しかし、この日は特別な日、堂内には国宝級の仏、菩薩と対面することができる。
そこには100人ぐらいいると思われる人の数、
若者がただ木魚を叩いて念仏を唱えるという一見して何の面白みもないイベントにわざわざ行列に並び、しかも時間は夜。その中には外国人までいる。
これを見て、どうか季節外れのゆく年くる年なんて言わないでほしい
(ブレててすみません)
私は16年前、京都にいる時、24時間念仏というものを体験したことがある
10人で行い、入れ替わり立ち代わり休憩をしながら、ひたすら念仏を唱える行。
それをやったから別に何もすごいわけではない、むしろ
ますます、自分の愚かさに気づかされる。
なぜ木魚を叩くのか?
木魚を叩くと、リズムを取ることになり、念仏の声が一体となる、
もう一つは雑音を消すことで、集中できるからである。
あの一体感、リズム感はすごい、しかもそれが100人となればその迫力は圧倒的と想像する。
その場に人が複数いても、なぜか自分ひとりだけの世界に入ってしまう。
自分とは何か、悪とは?善とは?仏の救いとは何か、言葉では表現できない感覚を体験することができる。
理屈ではとうてい理解できない世界、
仏とは?念仏とは?
今、わからないことがあったら、本やネットを調べれば大抵理解することができる。
ではそれでわかるのか?
いや、納得できるのか?
理解していてもそこから何かもかも捨てて、ジャンプしないとわからない世界がある。
それを体験したくて、見たくて、現実では救えない何かがそこにあると思い、
木魚を叩き、ひたすら念仏を唱えるのである。
一心不乱とはお経に出てくる言葉である。
ただ、南無阿弥陀仏と声に出し、南無阿弥陀仏と心で思い、どんな姿勢でもいい、寝ててもいい、恰好なんてどうでもいい、まさに乱れた姿をさらけ出し、この世をどうやったら生きていけばいいか、なんとかしてくれ阿弥陀仏!という叫ぶ姿がこの画像を見てひしひしと伝わってきた。
仏教を求めている人は、
ほら、
いっぱいいるじゃないか
情報提供ありがとうございました、山添真寛上人
そして、
報道ステーションありがとうございました。
来年も流してくださいねーー
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