仏教の話日記

「諦める」とは明らかに見ること、世の中は善も悪もない、すべては一つ


 

「諦める」という言葉は「明らかに見る」ということで

簡単に投げ出すことではない

出来ないことはできないという決断する勇気は立派

自分の限界、

自分の器、

自分というものがわかったということでとても素晴らしい

 

大抵はめんどくさがってそこまでたどり着けない

努力をしない

始めから偏見、邪見で見てしまい、

ありのままに見ることを放棄してしまう

 

限界を知ると「どうにもならない」ということがわかる

どうしようもない、自分ではお手上げ状態になると

わりと心がスッキリするものだ

善とか悪とかはもともとないものだとわかってくる

見方によっては善にも悪にもなる

本来は全部一つになるのではないのか

 

「自分」という存在はいつどこからが「自分」なのだろうか

誕生はいつからだろうか

母親のおなかの中から出ることを誕生というが

自分は母親のおなかの中ですでに命を頂いている

これを自分と言わずに何というのか

受精した時に自分の誕生とはいわないのか、

その自分は父の一部と母の一部によって自分は作られるので

父の中に半分の自分というのがあるのか、母の中に半分の自分がいるのか

そんなことはない、

しかし、

すべては何かに起因して存在している

何かによって現れている

それが名前という概念が与えられているのであって

それぞれ独立して生まれて存在しているわけではない

 

すべては一つにまとまられ、

違いはない、

善も悪もない

そもそもその違いをつけているのは自分の判断

 

自分」とは実はないのかもしれない

「自分」があるというのは思い込みではないのか

明らかに見るということはそういうこと

 

だから、

エゴという幻想、思い込み、都合のいい見方を無くし

他者との共存が必要となってくる

慈悲をかけよ

汝隣人を愛せ

となる

これを諸法無我という

 



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