伝統と慣習の違いとは何か
伝統とはその始点時の思想であって
思いであって
その思想や思いが形となって現れたものと
考えている
形は柔軟であっていい
その時と場所によって
対象に合わせてもいい
変わらないものはその思想であり
伝える側、表現する側は
常にその思想のもとに
一瞬一瞬の動を入れくる
目指すところは何か
目標が原動力を動かす
また、
伝統にするには何百年とかかる
合理的思想では理解ができない部分もある
たとえば
「相撲ではなぜ四股を踏むのか」
と聞かれても
「それが清めだからだ」
と答えても、前提となる深い伝統思想がないと
理解に苦しんでしまう
何度も何度も
その儀式を繰り返し、
体で体験したりすることで
その深い意味合いがわかってくると
言われる
グローバル化して
英語教育がどんどん早熟教育になっているが
たとえ英語が話せても
外国人に自分の国の文化や伝統を語れないのなら
日本人は全く相手にされない、
そういう日本人が増えていると聞く
外国は、自分は「何であるか」を最も問われる
我々の思考は日本語ベースであるため、
やはり重要なのは国語である、
(話が脱線した)
一方
慣習というのは
その名の通り、
以前からやっていること
道具だったり、
生活スタイルだったり、
組織だったり
昔からやっていることだと言っても
それは伝統とは異なる
ではどうして
昔はそれを始めたのか
と聞いてちゃんとした説明があればいい
はたして
盲目的にそれを守ることはどうなのか
世の中は諸行無常なので
時代は迅速に移り変わっていく
変えるところは変える
残すところは残す
この判断を何百年と積み重ねてきて
何らかの価値を世の人に与え続けてきた証として
伝統という称号を世間からもらう
続けることは難しい
いつまでも続くこと自体が普通ではない
しかし、先人たちは
伝統という思想を絶やさないように
言葉に残し、
文字に残し、
血のにじむような努力をしてきて
器から器に水を写すように
受け継いで来た
いつの時代も困難があった
必ずそんな時は
思想の源流を尋ねるようにたどり
原点に立ち返り
始祖の思いを時代時代に合わせていったと思う
始祖の思いは共通して
いつでも死を覚悟していたこと
1月25日は
法然上人のご命日である
「たとえ死刑になっても
この念仏の教えだけは言わずにはおれない」
この思いに立ち返る日が今日である
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