ホントに念仏を唱えている人の話を聞くと全然違う
音楽同様にホンモノに出会うと心の奥底の方で言語化できない感動を覚える
本当に宗教体験をされてきた方のお話をライブで聞くと
文字では絶対に伝わらない“何か”を感じるのだ
それを仮に“法(ダルマ)”としよう
その時間帯は“法のシャワー”タイムになる
いわゆる「有難い」という気持ちなのだが
なんだろう、この感じは
人を許し、人に優しくなれる
といったらいいのだろうか
シャワーは体をスッキリさせるが
“法のシャワー”は心とその奥にあるものをスッキリさせる
尊い方は
立っているだけで仏様で
普通にお話されるだけでも法話になる
聞いている間は時折、
自分(私)の浅はかさを思い出し
悪いことを考えなくなる
ご自身がインフルエンザになった体験談をお話で
>一人隔離部屋と称して仏間で横になっていると
今まで人様に無礼なことや自分の面の皮の厚さを思い出します
と語り
どう考えてもそんな無礼なことをされるような方には微塵も思えないのだが、
こういう方が自分を「愚かで自己嫌悪になる」とか仰るのだから
自己を反省しない自分(私)が愚か過ぎて恥ずかしくなる
こういうお言葉があった
>「自分」というものをなくしてしまうことはできない
すりつぶしてもどうやっても「自分」はなくならない
救ってもらわなければどうすることもならないんですね
文字だけならこういう程度しか伝わらないが、
つまりこれは、「自分」とはどうやってもなくならない一番厄介な煩悩で
お釈迦様はこれを「無明」とおっしゃったものだ
>ニワトリは3歩歩けばもの忘れ
瑞海(講師)は1歩あるけばもの忘れ
散歩中、「愚にかえれ」と繰り返しつぶやくそうで
「愚にかえれ、愚にかえれ」と言っていると
カラスが「アホー」といった
>なるほど「あっそうかあ、アホなんだなあ」
しかし、どうでしょうか、
人から「アホ」と言われたら、
そうはいきませんね~
だから「愚か」というのだろう
だから、お念仏を申され方が違うのだろう
一般論で話さず
体験談で終始話された話は感動が違う
僧侶に必要なのは宗教体験
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