失っていく後半の人生にどう向き合うのか~40過ぎて思うこと~
以前、ウエンツ瑛士が
「筋肉と友達は年と共に失っていく」
と言っていることを聞いて
なるほどなあと思ったことがある
筋肉や友達だけではなく
いろんなものを失っていくのが年というものだろう
『無量寿経』には
独り生まれ
独り死に
独り去って
独り来たる
誰もついて来てはもらえない
とある
お釈迦様は
この世の四つの苦しみとして
「生、老、病、死」
を上げたのは当たり前と言えば当たり前だけど
なかなか、それに向きあうことはできない
特に最後の死を向き合うのは
太陽を凝視できないのと同じようなこと
たとえ、
自分のことなら向き合えたとしても
近しい人の死はどう向き合えばいいのだろうか
これ程大きい苦しみはない
配偶者との死別に立ち直るのに
3年かかると言われ
子どもとの死別に至っては
10年それ以上とも言われる
「生」とは何の苦悩なのか
未だにすっきりした答えが見えてこない
「生まれる場所、時間を選ぶことができない苦」とか
「生きること自体の苦」とか聞いたことがあるが
死別の時の苦しみ、
つまり愛別離苦の後のずっと続く
「遺されて生きる苦」
これが「生」の苦なのかもしれないとふと思ったのである
どんなに宗教を勉強しても
実践、修行をしたとしても
この苦から逃れられない
けど、宗教を学び
自ら実践して、生活の軸を立てていたら
この戻りが早いのかもしれないし
積極的に前向きにならないにしても
最悪のことにはならないのではないのか
晴れの日に役に立たない携帯傘は
カバンの時にかさばるが
その小さいながらも
突然の雨のために
自分を守ってくれる
そんな気がするのだ
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