人は無力を知ることで仏を求める
たとえば
被災地でボランティア活動を
されている方を見たり
家族が病気になって
だんだん痩せ細っていくのを見たり
子育てが上手くいかなかったり
コミュニケーション能力に長けている人を見て
なかなか表現ができない自分と比べたり
配偶者や親しい人を
支えることができなかったり
そういう時に
人は
自分がわかってても何もできない無力さを
知るのではないだろうか
以前、
なぜ人は死ぬのですか
という質問に
「無力を知るからでしょうか~」
と答えた人がいて
ホントそうだなぁと思った次第
仏に“すがる”
まではいかないにしろ
求めたくなるのは
無力を感じた時だろう
神様は人間がいなくても存在するが
仏というのは人間の苦悩を救済するために存在する
たとえば
お釈迦様は
「生・老・病・死」の苦悩を
解決するために修行して悟りを開かれた仏
阿弥陀仏は
法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)が「苦のない世界」を作るために
修行して悟りを開かれた仏
きっと
仏に成る前は相当に無力を感じたに違いない
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