自分のことを棚に上げることが前提の世の中で
こういうことを考えること自体が困難すぎる件
煩悩とは欲望のことだけではないことをこのブログで何度か申した
そして、一番厄介なのは「自分」という煩悩である
お釈迦様も
悟りを開いてブッダと成られた時
欲望の最高神(他化自在天)と闘った後
最後に対決したのは自分だったという
つまり、
どんなに欲望に打ち勝ってしまっても
自分という枠組みから離れなければ
欲望がリバウンドする
我慢さえしていれば、という思いなら
その後の自分へご褒美を与えないと
わりにあわないと思うのは誰からも教えられなくても
自ずとそう感じてくる
また
この思いは知らず知らずに大きくなってくるし
どこから湧いて出てくるのか何の疑問も持たなくなる
この自分というものに「問い」を投げかけることが
仏教を実践していくことなのだろう
「あっ今、自分は怒ったなあ」
「あっさっき、余計な言葉が出たなあ」
「なんでこんなにイライラするんだろう」
「満たされないなあ〜」
まず、
沸き起こる感情に向ける時間を持つ
そのために、一人の時間を持つ
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