仏教の話

では仏教って何していくものなのですか?(昨日の続き)


 

では、仏教って何をしていくものかと言えば

具体的に「これをすればこうなる」という話でもないんです

それがあった方がとても楽なんですが

そうしてしまうと早く結果を求めてしまうようなビジネスの話になってしまいます

仏教はそれとはある種、真逆の方向に進むように見えるかもしれません

 

拝み屋さんや軽く宗教を語るような民間宗教は

手っ取り早い対策を立ててくれると思います

・画数を変えればいいとか

・方角が悪いのでここにはあれを置くといいとか

・この数珠を身につければいいとか

そういったものです

 

仏教というのはそういうことではなくて

そもそも、

あなたが願っていることは本当の幸せにはなりませんよ

という自分の価値観を疑うところから始まります

そして、

行き着くところは「自分自身を問うこと」です

 

(まどろっこしい)

 

そういう自分を自分で点検する作業には

当然、心が安定しなければ見えてきません

 

心が落ち着くような場所、時間が必要となります

なによりも、規則正しいルーティンが大事となってくるわけです

お寺の朝の風景がそれです

朝起きて、一番気になっている空間へ行く

お茶などをお給仕する

掃除をする

味噌汁を作る

いただきますの作法をする

檀家さんが訪ねてきたら笑顔で「よく来てくださいましたね」

と優しい言葉を投げかける

最初は疲れるかもしれませんが

こういう習慣が身につくと、それをしないと

歯を磨かなかったら気持ち悪いぐらいのレベルになります

 

私が旅行に行った時

朝、ホテルのベッドの上でボーッとテレビを見ていると

何かもの足りなさと、気怠さを感じるのは

そういうことなのかもしれません

 

この習慣が心を生み出し、

いろんな感情が口からアウトプットするわけです

 

いい習慣というのは自分のためというより

昔から行われていることが多いと思います

しかし、ここで

対象となるものが「自分の好き嫌い」

というフィルターを無意識に通すようになると

話が変わってくるわけです

 

「こうしないといけない」

「あいつさえいなければ」

「損か得か、勝つか負けるか」

こういう物差しが何かのきっかけで訪れると

何度も何度も言い争う悪いクセになり

それが、ものすごいストレスを抱えるようになるのです

 

自分の習慣で大切なことは

常に自分の都合が入っていないかという点検を

どこか日常を離れたところで行なった方がいいです

 

そうじゃなくても

宗教そのものも自分の都合で考えてしまい

宗教のつまみ食いになって

宗教にそこそこ詳しい仏教マニアになりがちです

 

そうそう

私のような自己を見つめる勇気も度胸もない愚か者なのです

 



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