仏教の話

仏教では何を基準として「善」や「悪」を判断してるのか


 

ある程度、大人になると

悪は必要として考えるようになる

だけど、

そこからどう考えるかで別れてくる

 

人によっては、

「みんなやっているから、自分もそうしよう」

という自分を棚にあげるか

「みんなやっているけど、自分は自分、人は人」

という自分の軸をあげるか、である

 

昔は、人が見ていない時でも

「お天道様が見ている」とか

「バチが当たる」とか

「閻魔さまの前ではお見通し」という価値観が根付いていたため

思い止めていたところはあった

また、

地域社会がしっかりしていると

どんな人なのかをお互いに知っていたため

悪を犯しても、

「魔がさした」とか

「出来心だった」とか

誰でもあるようなちょっと不注意だろうと

皆が大目に見ていたところがあった

 

今は、バレなければ何をしてもいいという節がある

地域の縁も薄れ、お互いの人柄がわからなくなったため

“ついやってしまった”ことでも

そういう危険な奴だから近くにいてはいけないという思いや

ネットの世界なら容赦なしに袋叩きにする動きがある

 

お天道様やバチ、閻魔さまといったものは

旧型の「業システム」と言える一方で

恐ろしいまでにリアルで「業」を図るものが現れた

 

それが、ネットやAIを使った監視社会である

 

中国ではマスク、サングラスをしていても

どこそこの誰々と判別できるようになっているらしい

そこに

どれくらいの善業と悪業をしたのかまでわかると

可視化できる「業」になってしまう

 

それまでの「業」の思想は

善とか悪は神様が決めるものではなく

自分に降りかかるまでわからないとされた

 

仏教では

その業による窮屈な価値から解放、脱出することを目的とした

これを「解脱」という

いくら善業を積んで、恵まれた生活を送っても、

悩み、苦しみが解決したわけでもない、また

次の世に財産を持っていけるわけでもなく、

ひたすら、同じ悩み、行動、輪廻を繰り返すからである

だから

善は善でも輪廻を越える、解脱するための業を積むべきだとお釈迦さまはおっしゃった

 

(ちなみに

念仏は輪廻を越える、解脱に向かうための行い(業)です)



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