4月8日はお釈迦様のお誕生日でしたので
お釈迦様がお説きくださった「無我」という思想について
ムツゴロウさんに例えて考えていきたいと思います
今、この年になってわかったことは
追悼番組を10分程ちらっと見て、
「あの方はお釈迦様のような方だ」と思ったことです
まず、あの笑顔
すべての生き物を平等に見ています
動物に対する恐怖心もなければ、
きたないとか臭いとか全く、気にしません
まるで言葉がわかるのだろうかという接し方です
たとえ、ムツゴロウさんが動物に殺されても、
おそらく、ご本人にとっては事故ではなく
自然現象の一つとして捉えるでしょう
自分と動物の境界線がなく
他の動物を自分と同じものとして見ています
区別、差別がないのです、
だから、動物を自分と同じように愛すことができる
これは悟りを開かれた方のものの見方です
(無我といいます)
以前、テレビのコメンターとして出られた時のこと。
ある村人がクマから襲われて殺され、
危険ということで狩猟者がそのクマを駆除したことについて
次のようなことをおっしゃっていたのを覚えています
「交通事故で年間、何千人ものの命を落としますが
車をなくしましょうとはしないでしょ
人がクマから殺されると言っても年間にしてわずか“数人”でしょ、
なのになぜクマを殺すのですか?」と
これにはその場にいたテレビ関係者は
「何を言っているの?」という顔をしていましたw
私もなんというブラックユーモアだと笑ってしまいました
しかし、考えてみると
本当にサスティナブルとかSDGsなどを掲げるならば
ムツゴロウさんのような覚悟を持つべきです
もっとも、
ムツゴロウさんにしてみれば覚悟なんかではなく
大いなる自然のつながりを見通しただけで
人間の“脳の枠組み”を外して考えてみれば
「当たり前」のことです
コロナウィルスでもそう
ウィルスだって必死に生存競争に出ているのであって
それを「わーわー」と勝手に騒いでいたのは人間です
その人間が作った共同体の中で生まれた常識というルールも
情報の多さと個人の考えが横行し、
コミュケーションの取り方が難しくなって、めんどくさがり
集団がなくなって、常識というものがなくなりました
残ったのは理屈です
いかに私たちが“こうじゃないといけない(枠組み)”の中だけで生きていき
私の、俺の、私が、俺が、と拘って
その主体やエゴの行き先の着地点がわからないまま
ただただスマホを眺めています
昔のお年寄りが威厳と貫禄があったように
ムツゴロウさんのような鋭い眼光を持つ年配の方が
若い方に常識と世の中のつながりとは何かということを
指し示していただきたいものです
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