『罪と罰』という人類が皆読まないといけないといわれる文学作品があります
主人公は役に立たないケチな老人は殺した方が利益になるという独自の理論を持つ青年ラスコーリニコフ(以下「ラスコー」略)、いわゆるエリート思想、典型的な合理主義者、自分の正義に閉じこもっている、理屈大好き人間です
自分の理屈によってお年寄りの女性を殺すのですが、その罪意識によって、数日間高熱に苦しんだり、別の用事で訪れた警察の前で気絶したり、いろんな人から詰め寄ってこられ、ただただ罰に怯える日々を過ごすわけです
もっとも恐れていたのはその刑罰ではなく、自分のことを誰もわかってもらえない孤独、社会から切り離されたということに苦しんだ
そこにソーニャという女性があらわれ、ラスコーをすべて受け止める、一緒に苦しむ。彼女のキリスト教精神を見て、主人公は彼女の中に光を見出し、罪と罰を受け入れながらも絶望の中で、神による救いを受けた
ソーニャは真面目で内気で熱心なクリスチャンだった。働けない両親と幼い兄弟を支えるために、娼婦にならなければ一家が餓死してしまうほどの極限状態だった。キリスト教では自分の身を売るというのはとんでもなく罪が深いといわれている。だから死ぬことよりも苦しみを受けていたということ。そして誰にも相談できず、ひたすら耐えていた。ラスコーと同じように深い孤独と罪という穢れを抱えていた。
ラスコー徐々に彼女の生き方、キリスト教の精神性に惹かれていく
ラスコーが自首していくけど、彼女だけに罪の告白をする
「あの老婆を殺したのは僕だー」とさけぶ。普通なら「何てことしたの!?」と驚くが、「あなたほど苦しんでいる不幸な人はいない」と自分の罪に押しつぶされそうになっている姿を自分に重ねたわけです
「私はあなたを捨てない。どこまでもついて行くよ。一緒に苦しみを背負いましょう。一緒に十字架、つまり罪を背負いましょう!」
今までずっと孤独だった状態から解放された。一緒に苦しみを背負いましょうって最高の励ましではありませんか。自分のことをわかってくれるということです。
この二つの物語に共通するもの、縁によって罪を犯し、罪の意識から孤独が生まれ、それを受け止めてくれる存在、あなたを無視できないという思いが、ラスコーや阿闍世の心を溶かしていったわけです。
今の若い人は失敗したら「人生終わった」「詰んだー」というです。
失敗した自分を許すことができない、孤独になって、自死する人が出てくる
理屈で考えすぎです。
感情で言うと「それってあなたの感想でしょ」っていわれてバカにされる時代なんですね。
もっと、自分の力、自力でなんでもやろうとせず、おまかせしますという精神で他人とつながっていくことが大事だと思いますね
その精神性ってどうやって培うかというと、宗教的実践です
浄土宗は具体的に南無阿弥陀仏のお念仏があります。
どんなに罪深くとも決して見捨てない、必ず救う、すべてまかせることで委ねることで、救いを頂戴することができる、これが念仏です
念仏によって救われるというのは、「自分という小さな殻を破って、もっと大きな、温かい繋がり(仏の慈悲)の中に自分を置き直す」ということです
この宗教的な体験が自分を大切にして、他人を大切にしていくんです
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