偽民主主義によって管理された幸福を求めることと、本当の自由を追い求めて人間の尊厳を失わずに生きること
『カラマーゾフの兄弟』における「大審問官」の設定は、16世紀スペインのセビリア、異端審問の火刑が吹き荒れる暗黒時代を舞台にしています。
そこに、かつてパレスチナを歩いた姿のまま、イエス・キリストが沈黙のうちに再臨します。彼は盲人の目を開け、死んだ少女を蘇らせますが、その奇跡を目撃した教会側がキリストを「最も恐ろしい異端者」として捕らえ、牢獄へ投じます。
物語の核心は、深夜、独房を訪れた大審問官がキリストに対して行う「一方的な弾劾」です。
審問官は、キリストが人間に「自由な選択」という重荷を与えたせいで、人類は不幸になったと主張します。彼は「自由よりもパンを、愛よりも管理を」選ぶことこそが、弱き人間を救う唯一の道だと説き、キリストに「明日、お前を火刑に処す」と宣言します。
この設定は、「個人の自由と責任」か「管理された幸福」かという、人類永遠のジレンマを鮮烈に描き出しています。
教会=国
大審問官(管理者)=官僚や政治家
キリスト=主体的自由の存在
それには人間をどう見ているのか、人間観が大事となります
「人間は自由という重荷に耐えられない、救いようもなく弱く卑小な存在」「弱く愚かな存在」です
ではどうしたらいいか、
大審問官は、一部のエリートが嘘をついて国民を管理し、思考を奪って家畜のような幸福を与えることこそが、弱き人類への唯一の慈悲であると考えたのです
キリストはただ静かに沈黙し人間に「自ら愛し、信じる自由」を目指します。どんなに不完全な存在であっても、人間には目に見える報酬を超えた「精神的な自立」が可能であるという絶対的な信頼です。
浄土宗の法然上人は、自らの弱さを認める「愚者の自覚」から始まります。
人間特有の欲に気づいて、そこから阿弥陀仏の大いなる慈悲に身を委ねることで「生かされている」という主体的な自由を得る生き方です。
真の自由とは、管理社会の家畜になることではなく、自分の弱さを抱えたまま、不完全でいい、失敗しても大丈夫、大きな愛に包まれて歩むこと。この「信じる勇気」こそが、現代のアルゴリズム支配の中でも人間性を失わない、真の自立への道なのです。
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現代の大審問官は一部の政党やエリート官僚だけではなく、スマホもそれ
アルゴリズムや効率至上主義がすぐに答えを出すというのは「考えない幸福」を生み出します。何か苦労して正解に辿り着くというプロセスが本当の価値です。スマホを開けば、自分の好みに最適化された情報が溢れ、自ら悩み、選択する苦しみから解放してくれる。だけど、それは大審問官が目指した「家畜の安寧」に他なりません。
今の日本はどうでしょう
まだ、この大審問官のように人々にパンという経済成長をさせて幸福にさせるならきちんと役割を果たしていると言えますが、30年間も国民を豊かにせず、国民を重荷を課し続ける管理者は欺瞞以外の何者でもない
まずはパンを与えてください
そして自分自身にはお念仏を忘れずに
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