相手を見て不幸と決めつけているのは他でもない自分の物差し
「聴く」という行為は無意識に相手に伝えているものがある
たとえば、
腫れ物にさわるような態度で憐れんでいるような言い方
辛そうだと眉間にしわを作る
つい時計を見て「早く終わらないかなあ」を出す
腕を組んで聞く
こっちの物差しを相手に向けて判断していないだろうか
たとえば、障害者をみて
痛々しいと感じているのは自分である
不幸かどうかは自分が決めることではない
つまり、自分に原因があるということ
(仏教ではこれを無明といい
なぜ苦しいのかその原因は根本的にわかっていないことを示す)
だから聴くことは難しい
そういう自分に気づくという練習が必要
自分は今、相手の話をジャッジしているなあと
自分の声を肯定できるだろうか
自分だったらどうするのか
自分にひと声かけてみる
自分に共感してみよう
共感には治癒力がある
以下引用
「何かを言った時、誰かがそれに真摯に耳を傾け
なんの決めつけもせず、責任を背負い込もうとせず
型に押し込もうともせずに聞いていくれたら
実にいい気分になる・・・
誰かが耳を傾け聞いてくれると、私は自分の世界を
新しく捉え直し、先に進むことができる
解明できなかった様々なことも誰かが耳を傾けてくれるだけで
解明できるようになる。なんともはや驚きだ
誰かが私の言葉を聞いてくれれば
どうにも手が付けようがないと思っていた混乱がスムーズに
流れるようになる」
(カール・ロジャースのことば)
共感していると
どういっていいのかわらないまま
沈黙が続くことがある
しかし、それは悪いことではない
言葉でのやりとりでは深い深い心に入ることができないからだ
“まま”に聴く
「死にたい・・・」
「そうかあ、死にたい程苦しんやなあ」
髪型を鏡を見て直すように
言葉も言い換えていってあげると
相手は求めていたことに気づくかもしれない
死にたいというのは実は寂しかったということ
「そんなこと言ったらみんな悲しむよ」
とつい返してしまいがちである
聴く側は
何を大切にして生きているのか
スキルに頼るのではなく
その感性を養わなければならない
マインド
行為
伴走
興味関心
あり方
人間力
信頼感
初縁でいきなり関係性を構築していくことは難しいだろう
答えがない回答を求めながら共感し、信頼を築き上げる
そうすれば
宗教者でなければ答えられないことも生きてくる
「(亡くなった)娘は今どうしているのですか?」
「浄土宗では・・・」
ではなく
「私は・・・」という自分のこととして、自分の言葉で語り掛けたい
わかってもらえなくてもいい
感覚として宗教観を伝えていく
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