普通であることの大切さ
どんな子どもに育って欲しいか
と問われたら
「普通」と答えたい
(普通の定義は控えさせていただく)
とにかく
普通に育って
普通に友達と遊び
普通に恋愛し
普通に勉強し
普通の価値観を持って
それからお寺を見て欲しい
いきなり「仏教大好き」で育ってもらうのは
気持ち悪い
一度は仏教を手放した生活を経験させたいと思う
普通という感覚がわからないと
人の気持ちがわからないということだ
しかしながら
お寺で生活する以上
少し世間とズレた生活をせざるを得ない
朝起きたら本堂に行ってお参り
電話とインターフォンがよく鳴る家に住み
休日が休日にならないことは多々あり
お盆はめっちゃきつい手伝いをさせられ
習い事の送迎はなかなか叶うことがなく
お寺の子ということで変な目で見られたり
あだ名は「一休さん」と名付けられたり
その故
お寺の子は普通にしてても
いじめられると言われる
大学に入って
お寺で育った人たちと集団生活をして
「お寺あるある」を語り合い
初めて“自分だけ”ではなかったと安心する
そして、
その仲間は変な仏教マニアではなく
実に普通の若者であったことが
一番安心した
普通のお坊さんになり
普通に所帯を持っている
そう、普通でいい
敢えて言うと
ちょっと変わっているのは
私の方かもしれない(笑)
だから、
普通を探している