仏教の話

お盆や彼岸で追善供養(亡き方への供養)をする理由は自分のためであるという記事


 

お寺は亡くなった方を供養するところというイメージが強いですが、

なぜ供養をするのかというもともとの意味を辿っていくと、

自分のために行うのだという理屈にたどり着きます

 

たとえば

お盆の本来の意味と

現在行っている日本のお盆は少し違います、

 

お盆the originを見ますと

お釈迦様の高弟である目連が餓鬼道に落ちたお母さんを助けるためにお釈迦様から方法を教えてもらいました。その方法とは90日間修行をする僧侶たちにご飯や果物をお供えして母の追善を願うことです

後世の人々が目連の母のようにならないため、お釈迦様は先祖の追善を祈るために僧侶たちに供養することを弟子たちに伝えました

 

中国に仏教が渡ると

「僧侶たちのため」が抜けて、「先祖の追善のため」になり

推古天皇が日本で最初に行いました

 

お盆とならぶ先祖供養時期はお彼岸ですね

お彼岸はもともと、六波羅蜜を行ったり、

西に沈む夕日をみつめて極楽をイメージ(観想)する修行ですが、

桓武天皇が追善供養を行ってから「先祖の追善のため」になりました

 

お寺の行事のほとんどが先祖供養ですのでどうしても

お寺=亡くなった方を供養する場所

という方程式になってしまったのがこの理由だと思います

 

亡き方のためとなると

自分のことを棚に上げてしまいがちになります

実はここが、問題となるところです

 

そもそもの意味をないがしろにしていると

やっていることは自分とは関係のない話に変わります

 

お盆で考えることは

なぜ目連のお母さんは餓鬼道に落ちてしまったのかを知ると変わってきます

 

お釈迦様がおっしゃるには彼女は「慳貪(けんどん)」といって物欲が深く、ないものねだりが激しかったからだとされています

我が子を溺愛しすぎてしまい、歪んだ考え方で世の中を見るようになり、自分の子どもさえよければ他の子どもを蹴落としてもいい、その一生懸命の方向が誤ってしまった、

我が子、我が子の「我」が強くなって激しい執着が起こした結果が餓鬼道という苦しみの世界に落ちてしまったのです

 

二度とこのようなことを起こさないためにも、

自分の心を省みる行いが大事であるということです

先祖供養の起こりは必ず、自分のためであるということですのでお忘れなく



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