仏教の話

最近CMでよく聞く「情熱の薔薇」の歌詞を仏教的に解釈してみた


 

最近CMでよく聞く「情熱の薔薇」の歌詞を仏教的に解釈してみた

 

この曲はたしか30年くらい前に

斉藤由貴のドラマのテーマソングだったと思うが、

30年経っても全く色褪せない。

 

おこがましいかもしれないが、

この歌詞は宗教性を帯びているように感じてならない

いつの時代も「永遠」「変わらないもの」を求めるのは

人間の切なる願いであると思う

 

では歌詞を見よう

 

>永遠なのか本当か

時の流れは続くのか

いつまで経っても変わらない

そんな物あるだろうか

 

つまり、

この世は常に変化して、不変なものは存在しない

常住不変なものはあるのだろうかという問いを投げかけ

そういうものがあったらいいよね

という希望を求める

 

なぜならこの世はどうにもならないことがあり、

それは例えば

老いるということ

病になること

死ぬということ

これらはどうやっても逃れるものではない

自分の意志とは関係なく

愛する人、親しい人と別れなければならない

 

>見てきた物や聞いた事

いままで覚えた全部

でたらめだったら面白い

そんな気持ち分かるでしょう

 

この世を上手に渡り歩くには

いろんな知識と経験が必要だった

しかし、「永遠のもの」「不変」を求めるには

むしろ、今までの知識経験という“ものさし”が

かえって邪魔するのかもしれない

人は変わることが怖い

今まで考えたことがないことを考えることは

自分が自分であることを置き去りにしてしまう

しかし、

仏教ではこの世は“仮の世界”であると説く

(世間虚仮 唯佛是真)

物の見方、捉え方、認識を変えていくと

きっと新しい世界、新しい自分が見えてくるのである

 

>答えはきっと奥の方

心のずっと奥の方

涙はそこからやって来る

心のずっと奥の方

 

仏教では人間の心の奥底のコアの部分には

とても“清らかな純粋な心”(仏性)があり

その心が発揮されないのは

「煩悩」が纏いつかれているため、

なかなかそれに気づかないと説く

 

その清らかな心に佛が働きかけていることに気づくと

同時に自分が永遠のものになれることがわかり

それは落涙するほどの歓喜を得る

 

人が南無阿弥陀仏と唱えれば

必ず、阿弥陀仏が臨終に迎えに来てくれるということを

「本願(ほんがん)」と呼ぶ

法然(念仏の元祖)という方は

この本願が“阿弥陀仏から私たちに向けた願い”と知り

その尊さに涙が1000回流れた(落涙千行)と伝えられている

 

この世の価値観で救われなかった自分が、

今こうして、自分を見捨てず、見守って、

さらには次の世界に連れてってくれることを

阿弥陀仏は約束してくださったのである

 

心のずっと奥の方に

確かな「安心」を得た瞬間

 

>情熱の真っ赤な薔薇を

胸に咲かせよう

花瓶に水をあげましょう

心のずっと奥の方

 

念仏を唱えると極楽にある蓮が咲く

自分が極楽に行くとその蓮の上に生まれると言われる

つまり、

「真っ赤な薔薇(蓮華)」を胸に咲かせるということは

念仏を唱えようということ

その花を育てるために念仏を唱えよう

心の奥にある“信じる心”をもって唱えよう

ということ

 

 

30年という月日は

この歌詞をこんな風に読ませてくれた

 

合掌



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