仏教では
人が死に向かっている時に「三つの執着」を起こすと言う
執着とはこの場合、現実と理想の乖離によって引き起こす心の煩いで
簡単に言うと、“手放したくない”という気持ちである
●一つ目は家族、親戚、財産に対する執着(境界愛)
自分だけ愛する人と別れなければならない恐怖に苛まれ
ずっと苦労して貯めてきたお金を手放さなければならない
>家族や部下が家に大勢いても
連れていくことはできないし、
宝は蔵にいっぱいあっても
何の役にも立たない
ただ自分に従うものは
“後悔の涙”である
と法然上人は言っている
また、よくドラマで
「できることなら代わってあげたい」というが
それは代わることができないから言えることだろう
●二つ目は自分の命に対する執着(自体愛)
つまり、死にたくないという気持ち
エリザベス・キューブラー・ロス氏が書いた『死ぬ瞬間』の中に
人が死の知らせをうけてどのように心が変わっていくかを
五段階にわけて説明している
①否認:告知を知り、そんな馬鹿な・・
②怒り:なぜ自分だけがこんな目にあわなければならない
③取引:ああ神様、こうしますから病気治して・・
④抑うつ:神仏でも治せないことをしって無力感が深刻
⑤受容:死を受け入れて静かな境地になる
だが、玉置妙憂さんが言うには
実際には⑤まで行くことはなかなかないらしい
①と②を繰り返す方がほとんどだと言われる
キューブラー・ロス氏は
最後「死にたくない」と言って亡くなっていったそうだ
●三つ目の執着は
死んだらどうなるのかわからない不安(当生愛)
これはどう考えても証明できない
「無」になるという意見もあるが、
それなら無になったという認識もできないはずなのだが、
どうなのだろうか
法然上人は
阿弥陀仏の来迎(おむかえ)によってこれらの執着心を消し去っていただき
心静かに最後の最後を瞬間を迎えることが出来ると言っている
その阿弥陀仏の来迎を叶うに必要なこととは
南無阿弥陀仏のお念仏を唱える習慣である
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