人前で話す時は
取り組む姿勢が最も問われると思います
先日、お通夜葬儀を勤めさせていただきました
年齢は53歳(数え歳)男性
肝臓がんにて
会葬者は通夜葬儀でそれぞれ100名以上は来られていました
ソフトボールの指導者であったため
中高生のお参りも少なくなかったです
お通夜は中高生向けに人の命は
どれだけの確率で誕生するのか
「袖振り合うも多生の縁」という話から
私という命はそれだけで尊いということを。
葬儀の時は「故人は極楽に生まれた」
ということをしっかり受け取ってもらいました
たとえ、
超ベテランのお坊さんの話が
どんなに完成されていたとしても
下を向いて聞いていない人はいると思います
「あー、早く終わらないかなあ」
という顔をされている人もいるでしょう
聞く人が100人いたら、
100通りの受け取り方があるので
どうすることもできないという一種の“諦め”があります
話を終えると、いつも
こんなんでいいのだろうか
今日は対象者を間違っていなかっただろうか
しどろもどろで何を言っているのかわからなかったんじゃないだろうか
と常に反省
それでも、
何かひと言、言わないと
気が済まないというか
儀式に“しまり”がないと私は思うのです
私は逃げはしない
また恥をさらすかもしれないけど、
仏教の話を耳かき一杯程させていただく
どうか、一人でもいい
心にとどめて欲しい
刺さって欲しい
そんな気持ちでいつも取り組んでいます
(副住職なので、その機会は少ない)
追記
ヴァイオリンの生演奏の中で
野辺の送りはいい






