喪失体験をした時は「諸行無常」を受け入れることはできない、だから念仏
なぜこうなったのだろうか
なぜあの人は死ななければならないのだろうか
という喪失感を体験した方に
「この世は常に変化します、無常だからです」
という理屈は通るのか?受け入れるのか
つまり
因果関係では納得できない理由を求めているのに
因果関係です、と答えているようなもの
だから、
因果関係で成り立っている世界から抜けて
“常”で成り立っている世界を求めたいのである
思った通りにいって幸せになりたい
そう、たとえば、
極楽浄土という阿弥陀仏が作られた世界に生まれると
因果関係から逃れ、二度と苦を受けることがない、
もう一度、人生をやり直すことができるのである
その世界に願いを込める言葉が
「南無阿弥陀仏」なのである
そう、だから念仏
さて、仏教をおさらいすると
お釈迦様は7年間の苦行を経て
極端な修行は良くないと気づき
まずはボロボロになった体を回復させて(乳がゆを食べてゆっくり休む)
49日間の瞑想に入られた
その瞑想の中では
なぜこの世は苦しいのかを追及し
「無明」という煩悩を発見された
無明とは自分自身とかエゴとか、
都合がいいように反応する人間の根本的心の働きである
その原因追及の方法は
因果関係による思考だ
その因果関係という思考方法で
無明や無我、諸行無常を見つけ出し
故に、この世は思った通りにいかない(一切皆苦)
と結論を出した
それは深い深い瞑想状態までに入って
自分というエゴが“溶けた”ような境地になると
そういうものの見方ができる
だからその理屈だと
「なぜ死ぬのですか」という質問に
お釈迦様が答えるなら
「生まれたからです」(死の原因は生)
ということになる
そういう瞑想状態を一生かけて追い求める方ならまだしも
私も含め、普通の人は
食べることに追われてしまっていて瞑想に没頭することはほぼ不可能である
(出来たとしても、極めて稀少)
言ってみれば、煩悩に振り回されて生活に苦しんでいる
理屈ではわかっているのに
なんでこういう目に会わないといけないのか
と無力を感じて嘆いているのが私達である
そういう私達にこそ
手を差しのべているのが
阿弥陀仏という仏様なのであるから
南無阿弥陀仏の念仏とは何か
ということをどうか知って欲しいと思って仕方がない
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