仏教の話日記

いつの時代もオウム事件時と似た吊るし上げは私達人間が引き起こすということを肝に銘じたい~自粛生活で思うこと④~


 

いつの時代もオウム事件時と似た吊るし上げは私達人間が起こすということを肝に銘じたい~自粛生活で思うこと④~

 

もうそろそろ自粛生活も終わりそうになるが

大切なことを忘れずに後々に残していきたい

 

結局、時代が変わっても

人は本質的に変わらない

と思ったコロナ騒動

 

世の中が「正しさ」と「悪いこと」が

はっきりわかる空気が出来上がると

その「正しさ」を武器に

ちょっとした悪でも

過剰な叩き潰しが起こるということ

 

公園で子どもが遊んでいたら通報

マスクなしで席をすると非常ベルをならす

感染した店や場所をマスコミが報道

 

一昔前でいうとオウム事件のマスコミ

また、それを面白がってみる人々

そういえば漫画デビルマンもそうだった

集団ヒステリーは私達ひとりひとりの人間が起こす

ということをことあるたびに反省しなければならない

 

キリスト教では「悪」の存在は自分の外に説くが

仏教では「悪」は自分の中に説くことが多い

つまり、この悪が煩悩であり

自分自身を悩まし、苦しめ、

「思い通りにならない」と煩う働きである

 

ということは仏教では

誰でも悪人ということになる

 

そういうと少し極端なことになるから

「誰でも悪人の可能性をもっている」

といった方がいいかもしれない

 

いい環境でいい人に恵まれて大切にされていたら

人は悪と思うようなことはせず

平凡な生活を送ることができるかもしれないが

 

なかなかそういうよき環境で恵まれず

ぞんざいに扱われてしまう生活を送ると

「あんないい人があんなことをするなんて・・・」

という結果になる

 

人はどうして・・・?

という問いには諸行無常という考え方で答えが出る

 

一瞬一瞬の人間関係によって引き起こされた原因と結果があり

それが過去からずっと繋がっていて今があり

そして、今の人間関係がこれからを決めている

 

そのベクトルとどう変えるかは

一瞬一瞬をどうするかにかかっている

 

たとえば、

今そばに居る人を大切にする

言葉をかけられなくても大切にする態度をとる

態度は聴くということにつながる

耳を傾けて「聴」いていくとそれが「行(ぎょう)」になり

「聴」の耳が行人べんに変わり「徳」になる

話を聴くことは立派な徳ということ

 

いい結果をもたらすいい縁といい行為を続けていくしかない

そしていいご縁に包まれたと感じたら

次はいい縁に恵まれなかった方々に分けていただきたい



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