死の体験旅行

約3年ぶり 3回目の「死の体験旅行®️」をやってみて思うこと


 

約3年ぶり

3回目の「死の体験旅行®️」をやってみて思うこと

 

私が思うに

死とは大切なもの、コト、人を徐々に手放していき(諦めていき)

最期は自分自身さえも手放すプロセスだということ

だから、死を見つめることは辛い

 

死の体験旅行は

死を擬似体験することによって

余命宣告を受けた方を寄り添う気持ちを起こしつつ

自分が本当に大切なことは何かを気づき、発見することだと思う

 

驚くことに私は3回やっているのに

3回とも異なる結果がでた

 

でも共通して

最後に残るのはやっぱり「人物」

それと同時に自分の信条や思想、信仰が残る

 

そこで今思ったのは

自分は理屈で考えるところが多々あり

本当の気持ち、直感的に潜在的に思っていることは

まだまだ自分でもわかっていないのではないか

言い換えれば

建前やカッコつけて選んでいるのではないか

ということ

 

自分の信仰を手放すなんて

自分のアイデンティティがなくなるのと同じ

と思い込んでいるのではないか?

 

いやいや待てよ

阿弥陀仏という仏が救いたい対象とは

手放すことができない、諦めることができなくて右往左往している凡夫であり

恩愛の絆を断つことができない人を救うというのである

 

最後の最後は信仰を離れてやはり親しい人に囲まれたい

そう思うのが人の情けであり、

そんなことは阿弥陀仏は百も承知

いや、もっと凡夫が思う以上に阿弥陀仏の慈悲は大きく包み込む

まだまだ自分は凡夫の自覚から程遠く

本願を少し舐めているところがあるのだろう

 

ならば、痩せ我慢などせず

大切な方を選んだ方がいい

 

もっとも、

水や空気、大地、地球、宇宙など

壮大で普遍的なものは大切なものに含まれないルールである

つまり

当たり前すぎて、前提とならないことだ

 

となれば、

信仰というのも

その「当たり前すぎている前提」と思えばいいのではないか

 

捨てようと思っても

手放さそうと思っても

水や空気と同じレベルで

意識せずともすでに必要としている

 

やはり、また小賢しく考えてしまう

まあでも、それでいい

 

だって凡夫なんだもん



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