死とは何だろうか
どう例えたらイメージできるだろうか
そう思っていたら
「死とは手放すこと」
今のところそのように感じる
大切な人、大切な物、大切なコト、健康
これらを徐々に失い、
最期は自分自身までも手放す
死はそのプロセスである
だから、
死をイメージすることは難しい
誰だって愛着していたものを手放すことはしたくない
お釈迦様がおっしゃっていたことは
つまり、これである
人は手放したくないために、
現実的に手放さないといけないために
「苦」を感じる
仏道、仏法というのは
この「苦」を問題としたのである
ではどうしたらいいのかというと
手放したくない原因は
「愛着」であるため
その愛着(執着)をなくす思考習慣を持ちましょう
ということ
その習慣が「修行」である
瀬戸内寂聴さんが
「出家とは生きながら死ぬことである」
とおっしゃった
まさに修行とは「手放す」を繰り返す生活であって
それは死に近い
しかし、
生活のすべてを修行にぶつける時間や立場の人は
そんなに多くはいない
どっぷり修行についたとしても
本当に生に対する愛着まで断ち切れるのか
そもそも
人間というのは執着するものであって
逆にいうと欲によって支配され
執着や愛着しながら悲しみ合い、
苦しみ合い、憎しみ合うのが
人間なのではないか
執着はなくすことは
そういう人間が人間たらしめているものを
否定するということになる
だから、死は誰も考えたくない
法然上人(上人は敬称)という方は
この“現実”を問題にした方である
生活のために修行ができない人達はどうしたらいいのか
修行できたとして自分(法然)のように執着なんて断ち切れない
そして、
当時の人の一生分(40年ちょっと)の時間を費やして
発見されたのが
修行しなくても大丈夫
執着しても大丈夫
手放さなくても大丈夫
何を変わることはない、そのままでいい
阿弥陀仏という仏さまはそういう私たちのための仏様
その仏の名を唱えれば、
極楽浄土というところに連れってもらえる
この世ではできなかったことは
あの世(極楽浄土)ですべて達成できるのです
とおっしゃった
そう、だから
南無阿弥陀仏なのです
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