習慣になってしまえば、誰でも疑わずにそれを行う。
日本人はみんなやっていると同調バイアスがかかって自分も行う傾向がある。
大事なことは供養は大いにやるべきだということ。
まあそれだけで終わってしまうと元も子もないのでちょっと私なりに考えてみた。
Google先生によれば彼岸の始まりは
阿弥陀仏の国は極楽浄土といって、西の方角にある。この時期ちょうど太陽が真西に沈むため、それを極楽浄土と思って菩提を願うことから始まったというが、
そもそも夕日を眺めるために祝日になるだろうか?
夕日が真西に沈む理由で祝日になるだろうか?
私が考える彼岸の始まりはこうである。
まず祝日というものは天皇陛下が祈る儀式のための日である。
戦前は皇霊祭という名前で春季、秋季に歴代天皇の菩提を供養していた。
その始まりは桓武天皇が始まりだと言われている。
つまり、天皇の命によりでこの時期に皇室の供養をするように決まったのである。
それにともなって、観無量寿経にある夕日を見ながら瞑想、念仏をする修行がされるようになったと想像するが、それはまだまだ一部の僧侶の間しか行われなかったのではないかと思し、墓参りの直接的な理由にならない。
現代のようなお墓参りのスタイルはおそらく江戸時代ではなかろうか(きちんと調べてない)
なぜなら、お墓が一般人に浸透していったのは江戸時代の真ん中ごろになってからである。そして、家のお墓が誕生したのは明治に入ってからであろうから、歴史からみたらお墓参りはつい最近はじまったことである。
明治の時代は言わずもがな、尊王攘夷である。
皇室がお墓参りをしていると知れば、それにあやかって一般人がお墓参りをするのは容易に想像できる。皇室の生活をまねできることはそれだけで大変、喜ばしいことだったに違いない。
今となっては誰もが疑う余地のない習慣だ。
お盆や初詣と同じようにこれは習慣であり、日本の素晴らしき文化である。
仏教が誕生したインドやネパール、それから中国にはない。それはお墓を作るという習慣がないためだ。日本人に生まれてホントによかった。
こうして、なんらかのきっかけで亡き人やご先祖様を弔う習慣があるということはありがたい。
またこういう行事を習慣にしてくださったご先祖様にお礼申し上げたい。
死にふれるきっかけを作り、死を考える機会を得る。
もちろん、それは今こうして生かされていることを考える機会でもある。
さあ、ご先祖様にご挨拶しよう。
さあ、お寺に行こう、お茶しよう
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