ドラクエ関連仏教の話日記

極楽浄土とはどんなところか?一部ドラクエで例えてみた


 

極楽浄土とはどんなところかを一言でいうと

慈悲の世界と言ったところでしょうか

 

慈悲とは

自分と他人の区別がないぐらい他人のことを思いやる気持ちのことをいいます

 

極楽に行っても亭主と一緒になりたくない

ということを耳にしますが、

極楽に行くと、自分の勝手な都合の考え、感覚が自然となくなります

そして、他人を慈しむ気持ちが湧きおこり、

常に相手のことを大切に思い、

常にありがとう、ありがとうを言う日々を送るようになります

 

他人は自分と同じ存在という感覚なので、

人のために良い行いをするというよりも

自分のためにやっていたのが

結果的に人のためになったということです

 

気が付いたら、

よそ様にいいことをしていた、

気が付いたら

菩薩行をしていたというイメージです

 

極めて楽と書いて「極楽」といいますが、

何が「楽」なのかといえば、

修行するのに「楽」ということです

最高位を(ブッタ)目指して覚りを開き、

また人間の世界に戻るのです

 

例えば悪いですが、

極楽ではレベルアップが「楽」ということです

メタルキングしか出てこないダンジョンで

100%当たる毒針で次々に倒すイメージと言えばいいでしょうか

 

逆に今の私たちが住む世界を上記のようなドラクエで例えると

スライムのみでレベル上げをするようなもので、

しかも、1日経ってゲームを再開すると、

冒険の書が消えていて

最初からやり直すような理不尽を毎日繰り返すという感じでしょうか

満たされてもすぐ次の欲が出て

満たされないのを不満に思い

イライラして、何かやらかしてしまう

それくらいちょっとした縁で悪業を重ねて

毎日毎日わかっていても同じことを繰り返してしまい、

なおかつ、一番の原因はそれに気づいていないということです

 

今現在私たちが生きる世界を娑婆世界といいます

この娑婆世界は必ず死を迎えますので

どんなに愛し合っている仲でも死別がきます

不条理な悲しみや、理不尽な絶望がある世界です

 

そんな娑婆世界にいる私たちを嘆いて

阿弥陀仏という方は極楽という国を作ったのです。

大切な方ともう一度出会えるために極楽というものを準備したのです。

 

阿弥陀仏が私の名を唱えた方はどんな方でも極楽に連れてってあげますよと約束しました

南無阿弥陀仏という言葉は

その世界に行くためのいわば切符のようなものです

 

そうは言っても、

阿弥陀仏や極楽の存在がわかっていても

なかなか南無阿弥陀仏は出てきません

人は仏像の前でしかなかなか唱えません

人目をはばかって、唱えません

 

それでもいいと、阿弥陀仏はわかっています

なぜなら、私たちの根性を見据えて、

そんなものだとわかっているからです

 

信心がなくても大丈夫

そもそも、

ない人のための南無阿弥陀仏です

 

 

とりあえず、

まずは唱えよ

 

理屈はあと



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