日記

なるほど 片づけというのは 時間のあるなしの問題ではなく、スキルの能力ではなく、心の問題であるということ


 

いつだったか

実家の父がこう言っていた

バブルの時期から

世間の家の床の間が

ごちゃごちゃ物であふれかえるようになった

 

物があふれるようになったのも

世の中の心の変化が顕著になったのも

この時代からだと

父は言っていた

 

床の間は

客人を迎えるための部屋で

家の主の顔を表すとされる

 

人の出入りが多ければ

お茶を飲むようになるため、

片づけをし、掃除を行うようになる

 

だんだんと人の出入りがなくなり、

住んでいる人さえ朝晩の仏壇参りしかなくなり、

時計が止まったままの状態でなり

たまに坊さんがお参りに来るか

はたまた

何十年前ものほったらかしにしていたエアコンが壊れたから

電気屋さんに診てもらう

そもそもこの部屋でエアコンはあまり使わないから、

もういらないとなり

それぐらいの使用頻度なら

使わない部屋は物置になってしまうのは

必然と言える

 

お盆参りをすると

一年一年、部屋が狭くなっていく独居老人がおられる

私にそのことについては何も語らないが、

その部屋が正に「苦」を語っている

部屋は心を映す鏡のようだ

おそらく

本人はどうしたらいいのか分からず

困惑していると思う

お盆参りにじっくり話を聞く時間はないものかと

嘆く

 

先日、大瀧冬佳さんが紹介してくださったブログ

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/touch/20180705

を読んでみると

 

なるほど

片づけというのは

時間のあるなしの問題ではなく

スキルの能力ではなく

心の問題であるということ

 

その心に気づくかどうか

負の部分を認めるかどうか

 

私の父が言うていた

バブルからの床の間の荒れ方は

世の中の心の荒み方と確かに一致する

 

母はこういう

片づけが出来ない人は

「子ども」だと

 

年を取ると

子どものように我慢ができなくなるのだろうか

 

 

話は変わるが

私は最近、子ども達に「勉強しなさい」と言わなくなった

部屋に行っても兄弟で話をするだけで

一向に進まないのがわかったからだ

 

その代わり

片づけをしなさいと口酸っぱく言うようになった

片づけができない人に勉強なんてできるわけがない

片づけができない人に仕事ができるわけがないからだ

 

キレイな部屋や机があるから

勉強をするしないは別にして

子どもたちは自分の時間を過ごす

 

好きなことを見つけて、

将来何になりたいかを想像する方が

大事である

 

と私が気づいた

 

将来何になりたくて、

何をしたいのかが決まってないのに

勉強しなさいというのはよく意味がわからない

 

そのうちわかるようになる

といっても

素直な子しかしなくなる

 

三角関数がこれこれこういうことに役立つと

説明したら、

逆にその必要性がないことがわかって

ますます勉強しなくなるのではないか

 

したいことがあって

それにめざして勉強を開始する

勉強はあくまで手段だ

 

それで勉強ができないのは

それは片づけができていないのではないだろうか

よく、それを見てみよう



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