仏教の話

なぜ煩悩を知ることが生きる上で大切なのか?人間とは何か?②


 

前回、

鬼というのは

人間の煩悩を表していて

みんな心の鬼をもっているということを

まずは知りましょう

でした

 

このことを知ることが

どのように人生において

必要なのかということを

あるエピソードでお伝えします

 

平成八年になくなられた司馬遼太郎さんのエッセイに

『悪童たちと凡夫』というのがあります。

司馬さんが中学生ころ、ある日国語の授業で平家物語を勉強しておりました。

凡夫という言葉がでてきて、

先生が「みんな予習をしてきただろう、この意味はなんだったかな」

とある生徒に意味を聞きました。

「はい、つまらない人という意味です」と答えた。

 

「ではこのつまらない人とは誰のことかな」

とせんせいが聞くと、

教室中がざわめきはじめた。

 

それぞれがA君あいつのことじゃないか、

よく遅刻をしたり、

忘れ物をしたりするからな、

いやいやB太朗のことじゃないか、

なんつたって数学のテストが毎回赤点だからな、

などとざわめいた。

 

すると先生がこういった

「凡夫、つまらない人とはここにいるみんなのことだ」

 

ひとりやんちゃな子が

「先生も凡夫ですか」、

と聞いた

 

この時代、

親のいうことは絶対で先生は

その親よりもえらいとされておった時代に、

「先生もつまらない人ですか」

ときくことはかなり思い切った質問だったと思います。

 

しかしその先生は

「そうだ、先生も凡夫だ」と答えると

教室はシーンとしずまった。

 

「日本の歴史の中でだれが

最初に凡夫であるとさとられたか知っているか」と聞くと

さすがに誰も答えられなかった。

 

「その人が日本の歴史で最も偉大な発見をした人だ」

「それが法然上人だ」

司馬さんは自分が凡夫と知ることが

偉大であるのかはわからなかったそうです

 

つづいて

「みんなはまだわからないかもしれないが、

大人になったとき、

今日の教室の光景を思い出してほしい、

そうすれば自分が凡夫であるということがわかるだろう。」

「もしも大人になっても自分が凡夫であるということがわからない人は、

一生不幸な人だ。

人間は自分が至らない不完全な者であると自覚したとき、

はじめて幸せの入り口に立つことができる」

とはなされたそうです。

 

凡夫とは

仏様(ブッダ)からみた私たちの姿をいいます。

仏様からみた自分自身の姿です

 

自分自身の愚かさを知って

それでも

「自分は生きていていいんだ」

「だって、自分をわかってくれる存在がいる」

「どんなに他人が自分の罪を知らなくても知っている方がいる」

ということがわかってくると

 

最終的に

その存在だけが自分を救ってくれるようにわかってきます

 

その存在こそ

仏であり、仏の中の仏、

阿弥陀仏という仏です

 

自分の愚かさがわからないと

仏様の救いというものが

何のことやらさっぱりわからないし

そもそも無関心でしょう

 

自己を知るとは

自覚とは

生きる上において

必ず必要なものです



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