前回、なぜ戒名が必要なのか私見を述べさせていただきました
次にお葬式の意味です
お葬式は
その戒名を「引導(いんどう)」という作法の中でお授けします
引導とは次の世界へ引っ張って導くことです
つまり、極楽世界に導くシーンを表した作法です
阿弥陀仏がこの世にお出ましになる時(来迎という)
いろんな音楽を奏でるといいます
ですから、式中もシンバルのような楽器を鳴らして表します
「バジャーン、ジャーン、ジャンジャンジャーーーン」
(びっくりしないでください)
お導師(式を執り行う人、大抵は住職さん)が
阿弥陀仏に成り代わって、(だから金蘭のお袈裟をつける)
言葉を語りかけます、(これが引導文)
ものすごく簡単にいいますと
「この世は無常で辛かったね、もう大丈夫だよ
名前(戒名)は〇〇って付けますね、
阿弥陀仏ってすごいでしょ、だから残された人も念仏を唱えてね、待ってるから」
です(これを格調高く言い表します)
引導が終わってみんなでお念仏して
極楽に導かれるところを見送ります
これが、浄土宗のお葬式の意味です
私がお葬式の導師を勤めさせていただいたご縁は今月に入って2回目
地元の檀家さんのお葬式は地元の方がこぞってお参りに行かれますが、
そうではない方のお葬式はかなり人が少なくなりました
けれど、逆に私は法話をしやすくなったと思います、
弔問者が多くなると
その方たちに向けたメッセージになりますので
宗教も宗派もバラバラ
ぐっとハードルが高くなり
その難しさから結構無視されることが多いです
しかし、遺族の方だけで葬儀を行うとなると
誰のためのメッセージかということになります
仏教とはどういう考えなのか
これからどうしていけばよいのかを
ピンポイントに話すことができ
それ故、
遺族の方はきちんと聞いていただいてるように思いました
一昔前のような血縁、地縁がしっかりし、土地をアイデンティティとするような田舎は宗教やイデオロギーが不要だったように思います
お経の意味もわからなくてもしっかり結びつきがあり、何の疑いもなくお寺に集まり、またそれが自然と成り立ちみんな幸せでした
しかし、私の地域も急激に都市化が進んでいます
都会に住むと田舎のような結びつきはありませんのでどこかで人は結びつきを求めるようになります
私はそれが宗教やイデオロギーだと感じております
人数が少なくなった現代葬儀でより葬儀の意味、ひいてはどのように生きてくかが問われてきます
そうなった時、私のような僧侶がどのように遺族と寄り添っていき、メッセージを残していくか、今こそ出番です
そういう思いで立ったお坊さんの取り組みは
きっとお経の唱え方ひとつにしても全く違います
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