ブルーハーツの「終わらない歌」は私が唱えるアレに似ている
以前、「最近cmでよく聞く『情熱の薔薇』の歌詞を仏教的に解釈してみた」
という記事を残した
仏教の視点で見ると、
ブルーハーツの歌詞は驚くほど、
真理や超越的なものを求める想いが溢れている
先日、終わらない歌をなんとなく口ずさんで見たところ
これって「佛さまからの働きかけ?」っていうぐらい、
終わらない歌を歌おう=南無阿弥陀仏を唱えよう
って思ったのである
その心は
>終わらない歌を歌おう クソッタレの世界のため
つまり、仏教用語でいう『厭離穢土』
この穢れた世界を厭い、離れるということを意味している
>終わらない歌を歌おう 全てのクズどもために
終わらない歌を歌おう 僕や君や彼等のために
人は何かのきっかけで煩悩に振り回される「凡夫(ぼんぶ)」の存在ということ
目から耳から鼻から口から肌から
自分のフィルターを通して、
無意識に心が反応し、
どこから湧くのかすぐに好き嫌いで物事を判断し
好みのものは欲しがり
嫌なものは攻撃的に出る
とにかく心の反応が多すぎてストレスを抱える私達
それは他人と比較する以上終わらない
そういう凡夫、私達のために
南無阿弥陀仏があるのである
>終わらない歌を歌おう 明日には笑えるように
「明日」=極楽に往生する時
という見方もできるし、
単純に阿弥陀仏に見守られている生活を感じると
物事を前向きに捉えることができ、
結果、笑えるようになるのである
見守られる生活というのは
南無阿弥陀仏と唱えていたら自ずとそうなる
>世の中に冷たくされて一人ボッチで泣いた夜
もうだめだと思うことは今まで何度もあった
こういう経験をしないと「人間」にはなれないし、
“物事を考える”というところには辿り着かない
>真実(ホント)の瞬間はいつも死ぬほど怖いものだから
逃げ出したくなったことは今まで何度もあった
小藪さんの「人生会議」ポスターが却下されるくらい死の問題はデリケート
お釈迦様は「生老病死」の解決を目指して
出家の道に出た、
この目を覆いたくなるもの、
考えたくないもの
誰もが絶対に逃げられない真実(ホント)をどう捉えるのかが仏教
終わらない歌を歌おう
終わらない歌を歌おう
南無阿弥陀仏を唱えよう
南無阿弥陀仏を唱えよう
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