仏教の話

なぜ人は死の問題を他人事のように軽く考えるのか?


 

わかっていてもできないというのが人間

逆に言うと

人間らしさというのは

わかっちゃいるけどやめられない

という理性が今までの習慣に負けてしまうことを言っているのかもしれない

 

頭の中ではわかっているんだれども

なかなかねえ……

というのは理解の仕方が不十分なのであり、

それを仏教では「愚か」「痴(ち)」「無明(むみょう)」「無智(むち)」といい

そういう人の事を「凡夫(ぼんぶ)」という

 

約2600年前に

ゴータマ・シッダールタ(お釈迦様の本名)という方は15歳の時に

生まれて初めて老人、病人、死人を見て、

「あれは何だ?」と付き人に聞いた

 

「あの人はどうしたの?」ではなく

「あれは何?」と物扱いの言い方であった

 

付き人の説明を聞いた彼は

物思いにふける生活に入った、

 

そして、29歳の時

居ても立っても居られなくなり

その老、病、死の問題を解決すべく

修行の道に入る

 

ここで問題とすることは

「どれだけ深く」自分の問題であることと認識しているか

かということで

 

普通はやがて死ぬというと

 

わかっているけど、

 

それは”今すぐ”ではなくて、

それは”他人”であって

それは”自分以外の事”であって

自分はちょっと特別な存在なんだという思いがある

 

ニュースを見て

事故で何人死亡しました

と聞いても、

どうしても他人事に聞こえてしまう

 

しかし、

必ず死を迎えるにもかかわらず

“自分が特別な存在”という根拠はどこにもない

 

最初に振り返ると

頭の中ではわかっているんだれども

なかなかねえ……

というのは理解の仕方が不十分なのであり、

それを仏教では「愚か」「痴(ち)」「無明(むみょう)」「無智(むち)」といい

そういう人の事を「凡夫(ぼんぶ)」という

 

けど安心していただきたい

みんな「凡夫(ぼんぶ)」なのだから

 

だからそう

”他力”ってものがあるんです



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