面識がない方を供養する時どんな気持ちを持っていたらいいのだろうか~『悼む人』を参考に~
小さい頃から知っている近所のおばあちゃんのお葬式は
言い方は悪いかもしれないが、
“やりやすい”
私のように若いとなると
葬式や法事などでお経を読む時
故人がどんな方だったのか
面識がないことが多いため
どんな気持ちで臨めばいいのか
わからない時があったりする
特に枕経に行った時はそう
なので
天童荒太の小説『悼む人』のように
遺族の方に
「誰を愛し、誰に愛され、どのようなことで人から感謝されましたか」
という質問をするようにして
イメージを膨らませながら念仏を唱えるようにしている
「悼む」となると
亡くなった方だけが対象で
神仏がでてこない気がする
小説の中でもそうだった
主人公は何か宗教があって祈るのではなく
冥福を祈るわけでもない
無残な死、無念の死をただただ悼む
私の場合、あくまでも仏と亡き方との中間的立場であるため
それは悼むというより“祈り”になる
3月11日、8月6日9日、15日などの式典では
悼むという表現が正しいかもしれないが
仏のご加護を賜り、故人に回し向ける願いであるため
祈りということ、
そこは注意したい
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