仏教の話

◯か✖️で判断するのではなく、もっと大きな繋がりで物事を見ることの尊さ


 

物事を敢えてはっきりさせない大人の柔軟な対応

何事にも条件があって存在するもの

学生の頃、
浄土宗の曖昧さにイライラしたものです

浄土に帰るという表現はおかしいとか
霊魂があるのかないのかはっきりしないとか
なんでひたすら念仏を唱えないといけないのか
往生のためにひたすら念仏しろと言いながら
たった一回でも往生は可能とか
お葬式で故人を極楽に送っているはずなのになんで施餓鬼をするのか
とか

◯か✖️がハッキリしていないことに苛立っていたと思います

苛立つ理由は要するに
自分が何もわかっていないからで、
理屈や論理は武器になり、
武装していないと相手に負けるからで
勝ち負けに拘るのは
劣等感を持つ自分がいるから

だったような気がします

そもそも
お釈迦さまが曖昧です
霊魂があるとかないとかはっきり言ってません
とにかく◯と✖️を付けたがらないのがお釈迦さまで
極端なものが自分を悩ますものだと示し
バランスを保つことの重要性を(中道)お説きくださいました

◯ではないし✖️ではない

◯は✖️に繋がっていき
✖️は◯に繋がっていく

◯があって✖️が存在し
✖️があって◯が存在する

テレビというのは何かと◯と✖️を付けたがります
受験が終わると◯と✖️をつけない問題だけになり
どうしていいかわからない学生が多いようです

◯か✖️かというのはある前提として約束があるから
1+1=2
ということが成り立つのです

世の中は

1+1=3だったり

1+1=4だったりすることもあります

 

また

◯か✖️をはっきりさせようとするからケンカになるのです

 

全ては条件によって成り立ち

全ては互いに依存しあって存在している

(仏教ではこれを縁起といいます)

そういうものが何となくわかってくると
自分と相手もどこかで繋がっているだろうと思い
相手を許す気持ちが出て来ます

大事なものは何か
それが自分の支柱であって
それ以外はわりとテキトー(そん時そん時考える)で
余裕が出て来ます

だから
曖昧ってすごいのです

 

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